高岡コロッケ物語

高岡コロッケ物語(20)

第2部・夢は揚げたて
売り込む(下) 「食に新風」の思い託す

 高岡市内はもちろん、市外のイベント会場でも「高岡コロッケ」ののぼり旗が立つことが多くなった。コロッケ人気の広がりを反映して、加盟店には、さまざまなイベントの主催者から出店を要請する声が掛かる。

北陸電力の展示会に出店したインサイトの屋台。揚げたてのコロッケを求めて来場者が列を作った=昨年11月、高岡市の高岡テクノドーム

●20回も屋台出す
 高岡市蜂ケ島の道の駅「万葉の里高岡」を運営するインサイト(同市)も、「高岡コロッケ」の町おこしが高まりを見せる中、積極的にイベント会場に出店している。昨年は夏、秋を中心に合わせて二十回も屋台を出した。
 同社は一九九八年、二十代の若者五人が外食事業を営む会社として設立した。現在、社員は約七十人。平均年齢は二十八歳で、その若さがフットワークの軽さに結びつき、積極的な出店の原動力になっているようでもある。
 経営する居酒屋では、個性的な和洋折衷の創作料理を出している。和食の店では、あえて洋風の革張りのいすを入れ、女性向けにノンアルコールのカクテルを何種類も用意した。高岡にない食文化を根付かせたいとの思いからだ。

道の駅「万葉の里高岡」の大仏コロッケ販売コーナー

●「代表選手」に
 コロッケを作り始めたのも、同じ狙いからだった。高岡の家庭の味覚として親しまれてきたコロッケを「高岡の食文化の代表選手」として見直し、名物にできないかと考えたのである。
 同社取締役の金子俊英さん(34)は「世代を越えて愛されるような高岡独自の名物を作りたい一心だった。食に新風を吹かせたいと思った」と振り返る。
 出店先は地域の催事がほとんどだったが、最近は民間企業の展示会や発表会も増えてきた。「高岡コロッケ」の人気が高まり、顧客サービスになると企業側が考え始めたからだろう。
 昨年十一月に高岡テクノドームで開かれた北陸電力のオール電化をアピールする展示会では、屋台の前に行列ができ、大勢の来場者が、揚げたての大仏コロッケに舌鼓を打った。予想を超える人気に、主催者側も満足そうな様子だった。
 コロッケを高岡の新名物にしようという営みを登山に例えれば、さまざまな登り口があるはずだ。雑誌やテレビで全国発信する方法もあれば、高岡で実際にコロッケを食べた観光客やビジネス客に、口コミで広めてもらうやり方もある。
 道の駅「万葉の里高岡」には、一日あたり平日で約千人、週末で約千五百人が立ち寄る。「日本海高岡なべ祭り」などの大型イベントには、県外からの観光客も少なくない。インサイトによる大仏コロッケの地道な売り込みは、派手さこそないものの、着実に「高岡コロッケ」のすそ野を広げている。

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